加賀屋でフライドポテト(錦糸町)
加賀屋について本気出して考える機会なんてなかなかないものだから、考えてみたのだけれど、特に意味がないことに気付いてやめた。加賀屋は加賀屋でいいのだ。
とりあえず生つって、めちゃくちゃに種類の多いメニューからいろいろと考えた結果、ポテトフライを頼むわけだ。それが加賀屋なのだ。
もちろんそこには煮込むを頼む人がいたり、もつ焼きを注文する人もいるだろう。それぞれの加賀屋があるのである。タバコをぷかぷか喫んで、ガハハと笑いあうグループがそこかしこにいる。楽しそうでなによりである。加賀屋にくると戦争は起こらない。
ポテトフライに続いて刺身の盛り合わせを注文した。これぞ、という盛り合わせが登場した。しめ鯖が入っていればもう十分。幸せだ。
べらぼうに質が良いものを求めているわけじゃなくて、酒のつまみとして、そして価格もあいまって幸せになれればそれで最高なのだ。加賀屋はそんな幸せを与えてくれる安心感のある店である。それは加賀屋であっても、ニュー加賀屋であっても、加賀廣であっても同じである。さくっと酒が飲みたいとき、そこに加賀屋があれば暖簾をくぐっている。楽しい未来はすぐそこだ。
わいずで家系ラーメン(神田)
お酒を飲んだあとにこんなものを食べるわけにはいかないのだけれど、神田のサラリーマンたちはその過ちをいとも簡単に犯していくのである。強烈に惹きつけられる何かがあり、まるで磁石のように行列の最後尾にじりじりと吸い寄せられ、ぴたりと張り付いてしまう。
人気No.1と書かれているものだから「のり玉ラーメン」(940円)のボタンを押してしまう。普通のラーメンにしておけばよいのに。麺硬めで。
ラーメンがきたらまずはスープをすするわけだが、これが殺人的に濃い。酒を飲んで馬鹿になっている脳みそを刺激するわけである。ああ、うまいとなる。
こうなったら麺をズルズルすするしかない。麺、スープ、麺、スープとどんどん胃袋に放り込んでいく。
ふと前を見るとおろしにんにくがある。それを見た酔っ払いこと僕が入れないという選択をするわけがない。半分ほどになったラーメンににんにくをぶち込むとさらに濃厚になった香りが鼻をとおり、脳を直接ゆさぶってくる。こりゃたまらん、と完全に屈した心はただひたすらにスープをすするマシーンと化す。
気付けば完食。後、後悔。いまごろになって馬鹿になっていた満腹中枢が正常に機能しはじめる。激烈に重い胃袋により、足取りも重くなる。にんにく臭い体を引きずって家路につくのである。終電に乗り合わせたみなさまへ心の中で謝罪。自戒をこめて。同じ過ちを繰り返すな。