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ドッチツカズ

優柔不断な無職がかわいい猫について書いてます。


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「行ってくるね」とスーツで。

考えてること

入社初日は雨だった。なんとなくそんな気はしていたのは、これまでの経験だろう。思えば新入社員のときの入社式も雨だったし、初めて転勤して新しい事務所の出社初日は記録的な大雪だった。そういう星の下に生まれたのだと納得するしかないのか。猫のすにちゃんに「行ってくるね」と言ってみるも、珍しく出掛ける僕を怪訝そうに見つめているだけで見送ってはくれなかった。

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もう一度「行ってくるね」とすにちゃんに言って、僕は家を出た。雨のせいか風も強くて、傘を持つ手がかじかむ。スーツなんて滅多に着ないから、ももひきのようなパンツの下に装着する温かいアイテムを持っていなくて、足元からスースーと冷気が入り込んでくる。もう辛い。帰りたい。これが無職の思考だ。だけれど僕は今日から働くのだ。まっとうな社会人として再出発するのだ。少しくらいスースーするのだって我慢するのが社会人である。ちくしょう。社会人はなんて辛いんだ。

 

電車を一つ乗り継ぎ、地下鉄の階段をのぼると、すぐに前回面接を受けたオフィスが見える。正面玄関を通り、受付の方に人事の方から待ち合わせ場所として指定された会議室の場所を教えてもらう。入社書類の渡しすと、代わりに社員証や携帯電話などが支給される。簡単な手続きをしてから、いよいよ配属される部署へ向かう。緊張する。できるだけ明るく挨拶しよう、挨拶しよう、挨拶しよう。明るく、明るく。呪文のように繰り返す。

 

エレベーターで4階にあがる。ドアの前のリーダーに社員証をかざしてフロアに入ると、面接をしてくれたサワモトさんが見えた。

 

「ひさしぶりですね。今日からよろしく」

 

相変わらず爽やかなサワモトさんがにっこり笑ってそう言う。

 

「はい!よろしくお願いします!」

 

32歳だってのに、新入社員のような強張った挨拶をしてしまった。緊張が前面に出ている。

 

「みんな、今日から一緒に働くことになるオーサカさん」

 

サワモトさんが部署のメンバーに声をかけた。そして「軽く自己紹介お願いします」と僕に囁く。

 

「オーサカと申します。これからよろしくお願いします」

 

自己紹介だってのに気の利いたことも言えず。だが、周囲の方々は拍手で迎えてくれた。なんだかこういうの苦手で、好きじゃない。とても恥ずかしい。でもこういうことをしていかなければいけない。それが社会で、それが普通なんだなと思い出した。

 

僕は用意されたデスクに座った。部署には20人ほどのメンバーがいて、10人ずつの島に分かれて座っていた。みんな若く見える。サワモトさんがあらためてメンバーを紹介してくれた。

 

「ここがプロダクト企画部。そしてこの島が企画チーム。メンバーはオーサカさんを入れて10人になるかな。僕の下にリーダーのカジモト君がいるから、基本的には彼に仕事の流れは聞いて」

 

端っこのデスクに座っている30代中盤くらいの少し太った男性が「よろしく」と言って、こちらにやってくる。

 

「カジモトです。早速だけど簡単に仕事の内容について説明しますね」

 

窓側の打ち合わせスペースに移動する。

 

「オーサカさんには企画チームの一員としておもちゃの商品企画をやってもらいます。ただうちはあまり大きな会社じゃないので、商品企画だけをやるってわけにもいきません。大雑把に言うと、企画をした商品が世に出るまで全てに携わってもらいます。とは言っても営業や生産分野については専門のチームがいるから、そこと連携して進めることになるんだけど、まあ、つまりは企画兼コーディネーターって感じかな」

 

僕は「はあ」と気のない返事をした。正直何のことだかさっぱり分からなかったからだ。そんな僕の気持ちを察したのかカジモトさんは「実際に働きながら覚えていってもらうしかないんだけどね」と苦笑して言った。

 

「企画なんて教育体系があるわけじゃないから、アイデアを出してもらって会議をして、それで流れを掴んでもらうしかないんだよ。まあがんばってね。あと、今日はこれやっといて」

 

と言って、PCやその他もろもろのマニュアルをもらう。カジモトさんはさっさと自分の席に戻っていってしまった。仕方ない。とりあえず今日は事務作業を終わらせよう。終わったら今後のスケジュールについて聞いてみよう。そう思って僕もデスクに戻った。

 

「あと、うちはスーツなんて着なくていいからな」

 

既に席に座っていたカジモトさんが端っこの席から大声で言う。それに反応して周囲からクスクスと笑いが漏れた。このときにはじめて僕のスーツがオフィスで浮いていることに気付いた。