すする担担麺で担担麺(水道橋)
麺やすするが担々麺専門店をオープンしたと聞いてやってきた。水道橋の駅からすぐのガード下にあるのだが、場違いなほどにキレイな外観にちょっとびっくりする。
もともとデザインコンセプトなどははっきりしていた店舗だったが、ここまでキレイだと多店舗展開を見込んで、さらにブランディングに力を入れていくということなのかもしれない。
入口はいってすぐに券売機がある。普通の担担麺(850円)と排骨担担麺(1,150円)で迷ったがお腹の具合を考慮して通常の担担麺を注文。
アジア系の店員さんに食券を渡すと辛さを聞かれる。通常は3辛ということだったのでそれにして、痺れを控えめでお願いしますと伝えたところまったく伝わらず。5回ほど言い直すことになったが、最終的にはちゃんと注文が通っていたので一安心。
注文してものの3分ほどで到着。胡麻感の強そうなスープに赤いコントラストが美しい。
麺は細麺。どうやら三河屋製麺のようだ。少し柔らかめだが、それがスープ絡みをよくしていて食べやすい。啜りやすいのもまたいい。
具材は肉味噌とナッツ、青ネギなど。どれも主張が強すぎずスープを際立たせるための脇役になっているのが心憎い。
痺れを抑えめにしてもらったのでクリーミーな胡麻風味がしっかりと味わえる。辛さもちょうどいい程度で後を引く。麺を食べ終わったあとも何度もスープを口にはこんでしまった。
店内もオシャレでテーブル席も多く、ラーメン好きというよりはランチ需要をしっかり取りにいく戦略なのだろうか。ラーメン屋に比べて入りやすいからだろうか女性客もちらほら見かけた。
担々麺自体の味もマイルドで食べやすいし、麻婆豆腐や油淋鶏の定食などもある。これからの夏に向けて需要があがっていくスパイシーフードとしてオープン時期も戦略的ですばらしい。すするの次の展開が楽しみ。
下北沢という町
生まれてこのかた下北沢という町に行ったことがなかった。いわゆるシモキタ。カタカナが似合う町だ。
なぜ行かなかったか。理由は簡単で「なんとなくオシャレそうだったから」。オシャレな町はダメだ。
僕はオシャレではない。おまけにかっこよくもない。コミュニケーション能力は下の下だ。そんな人間がオシャレな町に行くとどうなるか。オシャレな人を見て劣等感に苛まれるのだ。
渋谷あたりはまだいい。オシャレな人も多いがそもそも人間が多いので隠れることができる。ただしこれが代官山あたりになるとやばい。
そして僕はシモキタのことを代官山と同じようなところだと思っていた。
先日、やんごとなき事情により代官山のあるお飲食店に行くことになった。ああ嫌だ嫌だとぶつぶつ言いながら小田急線をおりる。駅を出ると若者がたくさんいる。
だが想像していたよりも学生が多く、そしてオシャレというよりも個性的な若者が多かった。聞けば下北沢は古着屋が多いらしい。僕は大阪出身なのでシモキタは堀江のような大人な町かと思っていたが、そうなるともう心斎橋じゃないか。心斎橋ならだいじょうぶだ。いける。
そう思った僕は目当ての飲食店まで一直線に走った。だいじょうぶ。オシャレな人もたくさんいたし、劇団っぽい若者たちがけだるそうにビラ配りをしていたが、まだ死にたくなるほどじゃあない。
そしてついに目当てのお店に着いた。さて入ろうとすると店主らしき若くて格好のよろしい男性が入口で常連らしきカップルと話している。ドアは小さくて扉をあけるとカップルにあたってしまいそうだったので暫し待つ。店主らしき人はこちらをちらりと見たが特に気にされていないようだった。
数分待ってカップルが出てきたので入れ替わりに店に入る。「すいません」と店主さんに声をかけると、くるりと後ろを向いて奥に入ってしまった。
すいません、すいませんと何度か声をかける。が、店主さんは奥の見える場所にいるのに出てきてくれない。
するとアルバイトらしき若い女性が出てきてくれた。
「あの、ひとりなんですが」
「すいません。本日は予約でいっぱいなんです」
あれ。事前に電話をしたときは予約ができないと聞いていたのに。
「予約できるんですか?では、今日は諦めますので次回の予約をさせていただけますか?」
「あ、予約はできるんですが今月はもういっぱいです」
失礼ながら一か月も予約でいっぱいということがあるのだろうか。そんな愚痴をいっても、いっぱいと言われてしまってはどうしようもない。
「そうですか。ではメニューだけ拝見させていただくことはできますか?」
今回はちょっとした目的があり、そうお願いした。すると、
「ちょっと私では判断ができないので」
「そうですか。では店主さんに聞いてもらえませんか」
「店長は立て込んでまして」
お店の真意はわからないが、僕はダメだったということだろう。大人になってもこれだから業が深い。シモキタという町はやはり僕にはダメだった。もちろんこれだけで町全体を決めつけるなんて愚かなことだとは分かっているのだけれど、それでもポッキー並のメンタルの持ち主である僕の心を折るくらいには悲しいできごとだった。
下北沢、行かなくても生きていける。