親の誕生日を覚えている人のほうが、親の年齢を覚えている人よりえらいのか、という話
いや、どっちも覚えとけって話なんだけど。
ある日の会話で親の誕生日の話になった。どうやらその人の父親の誕生日が近いらしい。でまあ、何の気なしに「何歳なの?」って聞いたらわかんないと言う。
「誕生日はいつなの?」と聞かれる。覚えてないと答えると、「えー、なんで?」と言われる。覚えてない。祝ったこともない。親不孝なのは自覚しているが、僕と親はそういう関係じゃなかった(この言い方ダサイな)。
年齢は覚えているのだ。なぜなら僕と親父は干支が同じで3回り離れている。そして母親は親父の10歳下だ。だから自分の年齢から計算できる。
だから僕は「でも親の年齢は覚えてるよ」と返す。すると「誕生日のほうが重要でしょ」と返された。
そういうものか。
確かに誕生日は毎年やってくるものだし、ちゃんと祝うのであれば覚えている必要がある。そもそもちゃんと祝っているのがえらいなあと思う。しかし祝うときに年齢が分からないってのはどうなんだ。
誕生日を覚えていないということは祝う気がそもそもないわけで、そうなると親と年齢に関する会話をする機会もない。つまり年齢を覚えている意味もない、ということか?祝う気ないって書いててひどいなと思う。しかしながら、一度もやったことがないので、もう今更という気もする。
親との関係が悪い訳ではない。というか最近良好になってきた。反抗期をこじらせた結果、社会に出るまではほとんど口もきかなかった。しかし近頃はちゃんと年に一回程度会っているし、ちゃんと会話もしている。死んだら葬式と墓に入れる手続きはやるよって言ってある。
そうなってくるといずれ年齢の会話も出てくるだろう。しかし、彼らは僕の年齢とか誕生日を覚えているのだろうか。向こうからもそんな話をされた記憶がない。これはお互い様ってことでいいんじゃないだろうか。このままお互いあまりそんなこと気にせずやっていけばいいんじゃないか。
となると、別に誕生日を覚えている人のほうがえらいってことはないんじゃなかろうか。年齢を覚えているだけで十分だよ。どっちが重要とかないよ。きっと。
いや、両方覚えてろよって話なのは分かってるんですよ。覚えます。すいませんでした。両親の誕生日調べて、お祝いというやつをやってみようかしら。
ではまた。