エレベーターには乗らない
ようやく時間ができたので前から読みたかったphaさんの「ひきこもらない」を読んだ。
僕はこの人の文章が好きで、そしてこの人の顔が好きだ。いつかテレビのドキュメンタリーか何かで動いているphaさんを見た。その前からそういう人がいるということは知っていたのだけど、京大を出てニートをしているなんてどこか別の世界の人のように思っていた。
動いているphaさんはとても穏やかな顔をしていて、それがなんだかすごくよかった。なんというかすごく人間らしかった。僕は人の目ばかり気にしている人間で、きっとこの人のようにはなれないのだろうと思ったら、憧れのような気持ちがわいてきて、そして悲しくなったりした。よくわかんない感情だなこれ。
僕も最近は割とまじめに働いていて、これまでやったことがなかった9時に会社に行くというのをできるようになってきた。とても苦痛だけど。
でもどうしてもできないことがエレベーターに乗るということだ。
エレベーターで会社の人と居合わせることがとても怖い。
「お疲れ様です」「最近どうっすか」
みたいな会話ができない。できないというのは正確ではなくて、どちらかというとやりたくないのだけれど、それもちょっと正確ではない。
僕はまずそういったシチュエーションになったときに「お疲れ様です」「最近どうっすか」という会話を相手が欲しているのかと考えてしまう。そもそもそんな会話をしたい人がいるのかどうかが疑問で、それが普通だとか、コミュニケーションだとかそういうことで行われているものなら、僕くらいは無視してくれていいよと考えてしまう。
でも「そんな会話めんどうだ」と思っているかどうかは完全にこちらの想像なわけで、事実、この前も僕の知らないえらい人に「あいつは挨拶がない」と僕の知っているえらい人経由で怒られたりもしたから、きっと「お疲れ様です」は必要なんだろう。
そういうことをぐるぐる考えていたら、いろいろ面倒になってしまって、いまはエレベーターに乗らないという選択をしている。
僕の働いているオフィスは11階にあるから大変だ。毎日ひいひい言いながら階段をのぼっている。周囲にはダイエットだといっているし、実際お腹も出てきたからちょうどいいかなと思っている。
iPhoneにはのぼった階数を表示してくれる機能があって、僕は一日に平均40階くらいのぼっているらしい。これがすごいのかわからないが、だいたい自分の席につくときには息切れしているから運動にはなってるんじゃないか。
同じ理由でトイレもオフィスのあるフロアとはちがうフロアを使っている。どうしても会社の人に会いたくなくて、ひとつ下のトイレを使っていたら、そこを使っている会社の人がわりといることが分かり(たぶん個室が空いてなかったりするからだと思う)、さらにひとつ下のトイレを使うようになり、そこでも鉢合わせたりするとさらに下のフロアとやっているうちに、いまはもう4階下のトイレを使うようになってしまった。
そこまでせんでもと自分でも思うけれど、誰かと会話をすることに比べれば、4階下のトイレを使い、また4階のぼってオフィスに戻るほうが楽だと思ってしまうのだ。ちなみに、そんなことをしていると必然的にトイレの時間が長くなってしまうので、できるだけ手早く済ませるよう心掛けている。とはいえ同僚たちが裏で僕のことを「うんこ長男」というニックネームで呼んでいる可能性は否定できない。
我ながら生きづらい考え方をしているなと思う。
でももうそうやって30年以上も生きてきてしまったのだから、これから直すことはできないだろう。
オフィスなんて人がわちゃわちゃいるところに朝の9時にいって、長いときは12時間以上も拘束されるわけだから、エレベーターやトイレくらいは会話という面倒なことから解放させてくれたっていいじゃないか。つって。