主に浅草で食べたものを記録していくよ

優柔不断な無職がかわいい猫についてや、食べたものについて書いています。


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父の余命を聞きにいった話

ええと、何から書こうかしらと悩みながらこれを書いている。端的にいえば実家の父親が肺癌になり、母親からの説明が要領を得ないので医者に直接聞きに行ったという話だ。

 

実家は新幹線で数時間の距離にある。父親は大学病院にかかっていて、担当医がどうやら多忙らしく木曜日のこの時間しか話をする時間がとれないよと母親にいわれた。仕方がないので有休を2日とり、早朝の新幹線にのってアポイントの時間に病院にいった。

 駅には母親が迎えにきてくれていて車で病院まで送ってくれる。もともとは父の肺癌の経過を説明してもらうためのアポイントらしく、病院の待合室には父親が座っていた。

 キャップをかぶって時代小説を読んでいる父は痩せこけていて、一瞬誰だかわからなかったが、そう思ったことを気付かれないように「お父さん、ひさしぶり」と声をかけた。父は少しだけ顔をあげて「ん」とだけいって、また小説に目を落とした。

 待合室は人が多く、並んで座る場所がなったので、母親と僕は父親から離れた場所に座ることにした。

 「お父さんのこと、お医者さんに聞くの?」

 と母親が聞いてくる。そのために来たからね、と返す。問題はどうやってお医者さんと二人きりの時間を作ろうか。両親に席を外してくれというとあからさまだろう。しばらく言い訳を考えてみたが、うまい説明が思いつかなくてあきらめた。どうにかなるだろう。

 

さすが大学病院。父の名前が呼ばれるまでたっぷり1時間半待たされた。仕方ない。2時間は覚悟していたのでまだマシだ。

 診察室にぞろぞろ3人で入っていくとお医者さんは少し驚いた顔をしていた。

 「息子です。詳しいお話を伺いたくて同席させていただきます」

 と断りを入れると、お医者さんは昨年末の肺癌が見つかった時期から今までの経過まで詳しく話をしてくれた。

 

父の癌は小細胞肺癌というやつで、喫煙者がやるやつだと聞いていた。非小細胞肺癌と比べると性質が悪いやつで、完治することはほぼないということは多少勉強したので知っている。進行も早い癌なので見つかった段階ですぐに抗がん剤治療をはじめた。そのかいあって癌は少し小さくなったそうだ。その後も放射線治療と並行して行い、癌を抑え続けていたようだが、父の容態はあまり改善せず、あらためてMRI検査を行った結果を今日は聞かせてくれるということだ。

 不謹慎だがドラマみたいだなと思った。

 「先日の検査の結果なのですが……」

 お医者さんが少し言葉に詰まる。話し方を考えているような間。そんなのもういい結果なわけないじゃないか。

 時間にすれば2~3秒なんだけど、すぐに悪い結果を受け入れないといけないという心理状態に変わる。最悪の結果を想像しておいて、まだマシじゃないかとポジティブにとらえられるようにしておく。

 「肝臓への転移が見つかりました」

 そうお医者さんがいったあと、父は何もいわなかった。少しの沈黙のあと、耐えきれなくなった僕が「それはどう治療するんですか」と聞いた。

 「放射線治療はもうやりきってしまったので、あとは抗がん剤治療しかありません。しかし、基本的に完治するということはもう考えられないので、これ以上癌が大きくならないように抑えていくしかありません」

 そこでようやく父が

 「転移しましたか」

 とだけいった。

 

「来週から入院しましょう」と言われ、スケジュールの確認がすむと手続きがすすんでいく。外で待っていてくれとなったときに、3分だけ話をさせてほしいとお医者さんに頼んだ。母が父を連れて出て行ってくれた。

 「正直なところ、どのくらいもつのでしょうか」

 何を聞かれるか分かっているだろうし、単刀直入に聞いた。

 「抗がん剤が効くかどうかによります。効いたとして平均1年。効かなかった場合は半年ぐらいでしょう」

 そういわれた。

 なんだ。教えてくれるじゃないか。これまで母親に実際のところどうなんだと何度も電話で聞いていたのだが、母親からは「はっきりしない先生だから教えてくれないのよ」といわれていた。

 1年か。癌が見つかったのが昨年末。おおよそ1年半。これが長いのか短いのか分からない。とにかく父との時間はあと1年程度ということがわかった。

 

診察室を出て両親のもとに戻ると、父親が「なんや」と聞いてきた。「なにをしていたんですか」という意味だ。

 「実際どのくらい深刻なんか聞いときたかったんや」

 と正直にいうと父は笑っていた。何話したか聞きたいかと問うと、「ええわ」といっていた。ほな、そうしよう。

 

病院からの帰り道、母の運転する車でチェーンのとんかつ屋さんに寄った。

 「病人やのにとんかつは食べるんやな」

 「体力つけるのに肉は食うとかなあかんやろ。そやけどもうかつ丼の梅ぐらいしか食えへんなあ」

 父はそんなことをいっていた。