主に浅草で食べたものを記録していくよ

優柔不断な無職がかわいい猫についてや、食べたものについて書いています。


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ブサイクと向き合うということ

僕の顔面はブサイクだ。小さい頃は顔をネタにいろいろとイジめられたりもしてきたので、ブサイクだという自覚はある。それでも鏡の前では自分がもっとも格好良く見える角度を探して、日常生活における精神の平衡を保っていたりする。スマホの電源が急に落ちて、ディスプレイにうつった気持ち悪い顔を唐突に見せられるときはあらためて自分がブサイクであることを認識するのだけれど、毎日のできごとではないから、ブサイクであることを忘れる努力をすることで日々を乗り切っている。や、まあ別に乗り切っているというわけでもないし、受け入れてはいるんだけども、それでもできれば格好良くなりたいなあとは思うし、ある日突然イケメンになっているというマンガみたいな妄想をしたりはする。宝くじが当たったら何買うかみたいなものだから許してほしい。

そんなふうに慎ましやかに生きているつもりではあるのだけれど、自分がブサイクであるということと向き合わなければならない時間がある。それは美容院だ。

あれほど長時間自分の顔が目の前にあるという時間はないだろう。自らの努力でまだマシだという角度に調整することもできない。せいぜい上目遣いをして目を広げるくらいだ。あの鏡の野郎、とにかく僕がブサイクであることを押し付けてくる。なかなか精神的にくるものがある。

おいおい、そんなブサイクが何を美容院なんていっているのだと思われる方もいらっしゃるだろうが、それは許してほしい。僕は髪型をなんとかしたいタイプのブサイクなのだ。

また一般的に美容師さんという職種の方々は美男美女かつオシャレ揃いだ。美容師さんというくらいだから、美に対する意識は間違いなく我々より高い。そんなステキな美容師さんが僕の後ろに立っているわけで、僕としてはなんだかブサイクで申し訳ないなあという気持ちになる。さらにアシスタントとして専門学校卒業してすぐみたいな若くてかわいらしい方がついてくれることがあって、もうそうなると、おじさんはね、若い頃は少しモテたんだよ、みたいな意味不明な嘘のひとつもつきたくなってしまう。

もう僕はおじさんといわれる年齢になってしまった。それでもまだ自分をよく見せたいという気持ちがなくならない。自分に正直になるととても惨めになるから、他人に興味がないようなフリをしてしまう。いつになったら解脱できるのだろうか。ブサイクと向き合うということ、心の成長というのは難しいものだなと思う。